茶房 とげとげ庵

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<<   作成日時 : 2016/02/05 02:08   >>

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 しばらく更新を滞らせると、ようやく書こうと思いたっても筆が進まない。近況を詳述すればきりがないし、かといってこれといった一大イベントもないからだ。有体に言えば山あり谷ありの毎日だが、その勾配は概して緩く、感情の起伏も小さい。ささやかながら嬉しいことや、いささか気に障ることが、1日にいくつかずつ通過していく。爆発するような歓喜や燃え上がるような怒りは鳴りを潜めて久しい。心の感度が鈍っているのか、それとも反応が弱まったのかわからないが、不思議なほどに落ち着いているのだ。

 恐らく、人間関係や社会情勢、国内外の政治などにいちいち一喜一憂しても疲弊するだけだという無意識の諦観があるのだろう。実際、自分が積極的に働きかけることで好転するような事態など、世の中には僅かなのかもしれない。研究室を中心に回る生活の螺旋の行方は、世間の逆方向を向いている。自分が学問の世界で成功できたとして、社会に良い影響を与えることができるのだろうか。ムラ社会に居場所を得たところで、世間的には存在していないのと同じではなかろうか。

 あるいは、コミュニケーションについても然りだ。政治、宗教、趣味嗜好の3要素のうち、1つでも理解しあえる知人すら極めて少ない。2つが合致するのは数人で、全ての見解を共有できる人は見当たらない。人と人との触れ合いにおいて、相互理解の試みとはすなわち主義主張の差異を容認することでしかなく、かえって孤独の淵へと歩を進める愚行とも思える。対の札がないことを知りながら続ける神経衰弱をどうして楽しむことができようか。

 そんな諦観に支えられた穏やかな心境を危惧する自分もいる。一般的に、妙に大人びた厭世家気取りの若者は好ましくない。頭の中で理屈をこねまわすだけでは何も変わらないのだ。評論家ぶって御託を並べる暇があったら行動しろ。青年は情熱的であれ。無鉄砲でいい、後悔は先に立たない。評論家ぶっている自分を客観視する自分、という時点で堂々巡りにも見えるけれど。

 行動はしている。問題はその中身だ。僕がこの一年をかけて行なった研究は小さな賞を授かり、今後も学会や論文で発表される日を待っている。これに対する自己評価は悪くないのだが、世間的に見たらどうだろう。僕の研究は難病の子供を救えないし、食糧問題も解決できない。所得格差も是正できなければ、さまよえる難民の道しるべにもならない。

 翻って周囲を見回してみると、カンボジアに学校を作ったり、国会前にデモ隊を展開している大学生がいるという。社会的な影響力や、世間様の需要といった観点から見て、若者がとるべき行動は何か。僕は何をすべきなのだろうか。

 いずれにせよ、理論武装が必要だ。研究室から社会へと届けるメッセージや、研究者の存在意義を自分の中にもたなければならない。異論との殴り合いに耐えうる建前があってはじめて、好きなものを研究する権利が得られる。世間やコミュニケーションに絶望したとしても、その海を泳ぎ切る技術と体力を培わねばならない。

 そういえば、虫採ったり研究発表したりしているときの喜びだけは今も色褪せていない。これはいいことだ。

 話は変わるが、先日、上野の科博にて村上陽一郎の講演を聞く機会があった。教科書や入試問題に頻出する科学哲学者で、著書もいくつか持っているので楽しみにしていた。話題は「ヒトの原罪」。村上氏によれば、人類は欲望の先天的抑制機構を失った生物であるという。人類史のうち長きにわたって、宗教のような倫理的習慣が欲望の後天的抑制機構として機能していたそうだ。しかし、18世紀の脱宗教化以降、人類は欲望を全面的に開放した。幸福の追求とはすなわち人間の欲望の無制限な肥大化であり、科学技術はその最も強力な手段なのだという。氏の結論として、現代文明は自身の矛盾に基づいていずれ崩壊し、最悪の場合は滅亡するとのことだった。

 生態学の分野では、ある種の生物が環境収容力を超えて増加し、密度効果によって激減するというのは、ごくありふれた話だ。僕の理解が足りないのかもしれないが、ヒトも例外ではないような気がする。むしろヒトが自ら人口を抑制できたら、それこそ例外的な生物とみなせるのではないか。

 ともかく、個々人が幸福を追求した結果、人類全体が共倒れするというのは何ともやりきれないシナリオである。しかし説得力は十分だ。資本主義は格差を広げ続け、グローバル化によって民族や文化の対立が進行し、資源を食いつぶしながら人口は膨らみ続けている。なるようにしかならないのではないか。

 そもそも、文化や社会構造というのは、各地域の自然環境や生活史にともない発達してきたのであって、それをいきなりグローバル化しようというのは無茶な話だ。欲望抑制機構としての宗教の復権もあまり現実的ではないし、そもそも現存している宗教というのは、幸福の追求を肯定するものが多いように感じる。何とも悩ましいなあ。火星にコロニーを創設するしかないのかもしれない。眠気という欲望を抑制しかねるので今日はここまで。

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